感想:森博嗣『今はもうない』

今はもうない (講談社ノベルス)
森 博嗣
講談社
売り上げランキング: 186646
おすすめ度の平均: 4.0
5 一番好きかも
4 読み終わってタイトルを見て
2 見かけ倒しの作品
4 やはり騙された!
5 やられた!

「最後まで話を聞きなさい。まえから君は、よく人を茶化すような冗談を言うけど……」
「それは先生の方です」
「いや、僕は茶化してはいない。ジョークはジョークだってちゃんと宣言する。今はその話じゃないよ。君のね、その揚げ足取りの茶化し方が、最近ずいぶんソフトになったと思う。これは褒めているんだよ」

久しぶりの森ミステリ

プライベートでつけてるブログを見たところ、『夏のレプリカ』を読んだのが今年の6月29日になっているので、うわーお、随分間を空けることになってしまった。近くの古本屋さんとかにないかなーとかずっと思いつつ、結局50冊ぐらいその古本屋でライトノベルを買って読んでたわけだけど、いい加減気になるのでamazonで注文してみて読むに至る。そして今日森ミステリのリハビリをしようと読んでたわけだけど、この『今はもうない』がそれまでの森博嗣の作品とはちょっと違った感じになっているのが、久しぶりに読んだ僕でもわかった。前作、前々作である『幻惑の死と使途』『夏のレプリカ』にも、構成上の工夫は見られたが、目次と章タイトルを除けばいつもと同じだったと言って良い。そう言う意味では、今回読んだ『今はもうない』は、『すべてがFになる』と同程度とは言わないが、それ以来の新鮮さがあった。

何を言ってもネタバレになる

 残念ながら、いくらかの持って回ったような表現のために、第一幕がはじまってややしてから、すぐにお話のキモは読めてしまった。気づいた地点で前作以前の物を読み返したくなったが、貸してるんだった。ラスト付近の名前あてクイズとかはニヤニヤしながら読んでいた。
 しかしそれにしても、このお話はどこを切り取って考察しようとしてもネタバレになりそうだ。犀川先生と西之園くんの微笑ましいやりとりでさえもだ。
 というか、こうやって「何を書いてもネタバレになる」と言った地点で、ある程度本を読み慣れてる人なら、どんな内容なのか察しがついてしまうというのがまたいかんともしがたい。
 この小説は、「橋爪邸で起こった事件」と、「毎度お馴染み犀川&西之園コンビがその事件について幕間(とプロローグ、エピローグ)」という二重構造になっている。目次を覗くと「意味のないプロローグ」「必要のない幕間」「重要でない幕間」「なくてもいい幕間」「まったく余分なエピローグ」と、実に森博嗣らしいなあと思える章タイトルがついている。
「事件」に関して言えば、いつものように密室でおこった――あるいは『一方通行の法則』を持った半密室というべきか――事件だったが、重要に見えるヒントがあまり意味を持たない、といった感じのミスディレクションがあったり、事件の真相そのものもあまりインパクトがなく、むしろ中盤に出てきた各々登場人物の間違った推理の方が面白く感じられるぐらいで、まともに推理しようとすると思わぬ肩すかしを食うかもしれない。だが、実際そこまで読む頃には、読者の興味も既に事件の推理から離れているだろう。結局の所「事件」は徹底的に「外枠の物語」のために作られたという感じだ。しかしそれは僕にとって、決して作品の魅力を損なう構造ではなかった。
 事件本編を語る主人公の一人称視点も、新鮮さを感じさせる一因だろう。正直に言うとはじめの方はかなり愚鈍に見えてちょっとイライラしました。

純粋なミステリとは言えないけど、面白く読めた。

 ほんとに面白かったのだけど、ただ、ここで僕が「面白かったのでみなさんも買ってみてください」と言ってみたところで恐らく読むのはシリーズを追っている人だけなので、あまり意味がある呼びかけではないんだろう。僕個人としてもいきなり『今はもうない』を読むより、シリーズを順番に読むのがお勧めです。あ、森博嗣を読もうって言えばいいのか。
 僕はとりあえず手元にある『数奇にして模型』『有限と微笑のパン』を近いうちに読みたいと思います。でも厚ーい。