書評:森博嗣『数奇にして模型』

数奇にして模型 (講談社ノベルス)
森 博嗣
講談社
売り上げランキング: 135283
おすすめ度の平均: 4.5
4 シリーズ第九弾
5 オタク心理まで見事分析しきった森ワールド
4 先入観をなくして

「筒見さんは、そんなことをするような人格じゃありませんよ。そんな、女の子の気を引こうだなんて……」
「普通の女の子じゃない」
「もっと、なんというのか、超越した人格なんです。先生も一度お会いになったらわかります」
「会ったよ」
「いえ、お話をもっとされたら……」
「それも君の観測だ。そこにも既に四十五パーセントの誤差がある」犀川は新しい煙草に火をつけた。
「今、先生、私のことを、なんか……、普通じゃないとか、おっしゃいませんでした?」

森博嗣数奇にして模型』より引用。『数奇にして模型』は森博嗣S&Mシリーズ9冊め。英題「NUMERICAL MODELS」)

感想(ネタバレあり)

 ミステリを読んだことがないひとほど真相に近づきやすいかも知れない。この小説の筋書きは、皆一度はその可能性を考えるが、推理小説的な常識と照らし合わせて「ない」と判断する類のものである。広義的にはアンチミステリに含められそうな、ミステリとして「異常」な内容――しかし、「異常」とはなんだろう、という話もまた、第四章である「火曜日はバラエティ」で多くの登場人物が語ったように、この小説のテーマである。

 それにしてもこの小説、量が膨大なので読むのに時間がかかるだろうと思っていたら、あっという間に読み終えてしまった。新登場人物のキャラが立っていたし、レギュラーキャラのやりとりが冴えていたからである。前半に於いては模型オタクや地球防衛軍などのくだり。中盤においては犀川先生の「たとえば僕が西之園君の首を切りたいと思った、としよう」という話や、国枝先生がくだらないと良いながら長々とはなしてくれた「異常」についての話などが面白く、森博嗣が第四章をノリノリで書いたのだろうことは容易に予想がつく。もう少し後半においては、西之園くんと金子くんのケンカの内容も見所だろう。これはシリーズの根幹を揺るがしそうな話で、次巻がシリーズの最終刊であることを意識させられ少し寂しい気持ちにもなった。
 前作の『今はもうない』にほとんどレギュラー登場人物のやりとりがなかったから、僕自身がそれを恋しがってた部分もあるのかもしれない。序盤から出てくる設定や人物、集団にも多くの異質なもの(異常、と呼ぶと語弊がありそうなので)が存在し、模型オタクから見たフィギュアオタクだったり、一般人から見た大御坊だったりして、大枠で見ればそれも概ね正常なのだけど、それが面白い世界観を作り出していた。

 西之園くんの直感も通用しない(もっとも、筒見紀世都に対する直感が本当に通用していなかったかどうかは、ラストを読む限り少し謎の残るところだけど)犯人の「異常」さ。しかしこの異常は、推理小説群の中では際立つものだが、実際の犯罪においては「動機がはっきりしない」或いは、カッとなってやった、というような「動機が極端に単純化されている」物も非常に多く、その異常さは特殊な殺害方法ぐらいがせいぜいワイドショーのネタになるくらいである。状況証拠よりも犯人の論理的思考のトレースを重んじるのは創作物の中だけだ。どんなに正常に見える人間の中にも、意図的かどうかは別として、「異常」に見える不可解な行動はいくらでも存在する。この現実は、推理小説では意外性として処理される。その乖離に真っ直ぐ向き合った作品とも言えるが、何度も使えるネタではないだろう。

 気になるのは、手紙の意味、『保険』の意味。
 犀川の推理や寺林の供述に納得した読者は、しかしラストの鉄道模型によって嫌でもいくらかの伏せられた真実について考えさせられることになる。これがじわじわと後を引くような独特な読後感を産む。全てが謎のままに終わってしまったなら残るのは消化不良感しかない。この謎については考察のしがいがあり、いくらか説得力をもったいくつかのピースは見つかるのだけど、寺林が簡単に嘘を吐く男である限り複数のアクロバティックな推論が可能になるので、言及するのをやめておこうと思います。(という逃げ)