感想:保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』

書きあぐねている人のための小説入門
保坂 和志
草思社
売り上げランキング: 16285
おすすめ度の平均: 4.5
2 題名、主題に一貫性がない
4 芥川賞を受賞されている作家による本
5 これを読んでも絶対に書けない
5 読みあぐねている人のため
5 入門というには刺激的


 もし僕が、それほど付き合いのない知り合いに「小説とか書いてみたいんだけど、参考になる本ない?」と聞かれたら。
 僕はこの『書きあぐねている人のための小説入門』を薦めるかどうか迷ってしまうだろう。
 親しい友人だったら薦めるだろう。親しくなくても、心情的には薦めたいし、読んでおいたほうがいいと自信を持って断言できる。が、その効果が当人に伝わり難いのではないかと疑ってしまうのだ。「そういう小説が書きたいんじゃないんだよねー」と言われるよりは、表現技法やストーリーの構築法が書かれた本を貸して感謝されたほうがいいかも、と思ってしまう僕はなかなかにエゴい。

 この本、『書きあぐねている人のための小説入門』著者の保坂和志は、『この人の閾』という作品で1995年に芥川賞を受賞した小説家。デビュー作は『プレーンソング』。他に『草の上の朝食』『季節の記憶』で多くの賞を受賞し、またいくつかのエッセイも執筆している。特に『プレーンソング』に関しては、この『書きあぐねている人のための小説入門』の中でも何度か言及されている。

 ところで僕は本を読むとき、「ここは後で読み返そう」と思ったところには付箋を貼っている(昔は直接傍線や感じたことを書き込んでたりしてたけど、図書館で借りた本にペン入れそうになってやめた)のだけど、今回は途中でやめた。序盤から付箋だらけになってしまったし、どうもこの本に限って言えば、その行動そのものが「違う」と感じたからだ。

 この本の内容を語る際、まずはじめに注意しておかなければならないのは、この本は、物語の発想法やパターン、具体的な文章テクニックなど、エンタイテイメント小説を書くための実践的技法を教えてくれる本ではないということだ。だからこの本が、「直接的に」読者の小説執筆に役立つかどうかはわからない。だがタイトルが示すように、小説を書きたいと思いながら書きあぐねている人(書こうとしているものがエンタイテイメント小説であろうと!)には、この本を読んで見えてくる物がいくつもあると思う。

『書きあぐねている人のための小説入門』の第二章には、いわゆる「哲学書」についての言及がなされた部分がある。曰く、「思考のプロセス全体が答」であるはずの哲学書の中から、いくつかの箴言めいたフレーズを抜き出してストックしても、意味がない、というものだ。そしてこれは、実は僕がこの本に多くの付箋を貼るのをやめた理由の一つだったりする。いつの間にか、僕はこの『書きあぐねている人のための小説入門』を、保阪和志の哲学書として読んでいたのだ。

 しかしそれも当然のことだと思う。この本には、保坂和志という人間にとって小説とは何か、小説を書くとはどういうことか、それを実現するための方法とは具体的にどういったものか、そして実はもう一つここが重要なのだが、保坂和志自身それを確立するまでどう迷ったか――ということが書かれており、視点は、徹底的にそこにある。だから芥川賞や新人賞を取るための方法だったり、読む人にウケの良い文章の書き方なんてものは、話題にこそ出てくるものの、殆ど触れられていない。「このような小説を書きたい人はこうしましょう」という親切な技術指導もなく、ただただ「私はこう書いている。その理由はこうだ」と述べているに過ぎないのだ。

 しかし著者は本書中で、この本が、細やかな技術の書かれた小説教本より実践的である、という旨を述べている。この本に書いていることをマネをすれば小説が書けるということだろうか。いや、そうではあるまい。保坂和志保坂和志を量産したくてこの本を書いたわけではないだろう。ではいったいどういう意味において、この本は実践的なのか――そのヒントは本書の第一章、読者に注意を促すような形で書いてある。

では、この本はどう読めばいいのかといえば、少なくとも論理的・分析的には読まないでほしい。私は、この本で「小説とは何か?」「小説を書くとはどういうことか?」をかなりしつこく考えていくつもりだと言った。そのプロセスは言葉を尽くす以上、ある程度論理的にならざるをえないけれど、読者、私の言うことをできるだけ直感的・感覚的に受け止めて欲しいし、そう読んだほうがわかりやすいようになっているはずだ。誤解したり、歪めてもいいから、その人なりの感覚で何かを感じ取ること。これが、小説を書くときにもっとも大切なことだからだ。

「直感的・感覚的に受け止めて欲しい」「誤解したり、歪めてもいい」という表現と、この本が「実践的」であるという主張は一見、矛盾しているようにも思える。だが一度この本のタイトルに立ち戻って、「なぜ小説を書きあぐねるのか」、ということを考えると、それが矛盾ではないことに気づける。なぜなら人が小説を書きあぐねる時、その人にはその人自身の哲学を持っていないか、あるいはスタイルが確立していないのだ。スタイルさえ確立していれば、質はどうあれ、小説は書ける。書きあぐねているという状態は、「こう書こう」と思っていても、別の書き方が良いのではないか、という迷いが生じたりして、前に進まない状態なのではないか。そこを巧く解消してやれば、小説を書きあぐねるということはなくなるのではないかだろうか。
 しかしだからといって、「君の執筆スタイルはこうだ」と他人が規定してやることはできない。そのスタイルは自分で見つけ出すしかない。
 そこでこの『書きあぐねている人のための小説入門』だ。読者(=小説を書きあぐねている人)はここに書かれている保坂和志の哲学――考えの道筋――を読むことによって、自分が小説を書くときに、自分なりの全く違う哲学を意識することが容易になる。この本は、読者が自分の小説観を持つためのヒントなのだ。そういう意味においては、著者本人がどう考えてどういうスタイルを選んだか、ということが徹底して記述してあるこの本は、ただ「こう書くべし」と方法論を述べたり細やかな文章テクニックを述べた小説指南書よりも、確実に実践的であると言えるだろう。