感想:とらドラ! 第5話「かわしまあみ」

竜児と大河とやっちゃん、この三人は和むなー。
ようやっと登場亜美ちゃん。
どうせもう二度と会うこともないだろうし……→転校生。あるある。
大河とばかちーバトルスタート。
バレてるのに演技を続ける亜美の滑稽さとか、腹探られてるのにあまりに無防備な大河の可愛さとか、北村絡みだと冷静に判断できない大河の可愛さとかいろいろあるけど、みのりんの懺悔室が全部もってった感はあるな。
独身の活躍がもっと見たいなー。

ロザリオとバンパイア CAPU2 第五話「カレーとバンパイア」

調理実習らしいです。
瑠美、心愛の登場パターンの様式美ぶり。
みぞれ可愛いなあ。
んで努力して月音にカレーを食べてもらおうと思ったら、カレーハザードですよ。
「雪女しか作れない、さらさらかき氷カレーさ!」
新キャラが問題を起こす話のパターンを顧みるにこうなる気はしたけど、、どう考えてもカレーって地点で話に無理あるだろ、っていうかキモいわ!

感想:西尾維新『偽物語[上]』

偽物語(上) (講談社BOX)
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西尾 維新
講談社
売り上げランキング: 1024
おすすめ度の平均: 4.5
5 阿良々木ハーレム
5 いつも通り……なのか?
5 やっぱり面白い
3 アニメ化されるから続編?
5 阿良々木くんは主人公じゃない、奴隷公よ!

「火憐ちゃん」
 と、呼びかける。
 状況が状況で急いていた所為もあり、うっかりと火憐のことを名前で呼んでしまったが、それはともかくとして。
 続けて言った。
「今からお前とキスするぞ」

偽物語、感想

 議題は「偽物」と「本物」。物語の中心は兄妹喧嘩と戦場ヶ原の過去。構成の核はでん! でん! でん! とざっくり配置された主人公対ヒロインの一対一の漫才。そう決めたらあとは小道具だ――ぐらいの割り切りが見える、いかにも化物語シリーズらしい作品。アニメ化に関する言及がしつこ過ぎるぐらいしつこいのに大して鬱陶しく感じられないのも、物語の大半がそもそも小道具に過ぎないからだ(もちろん、その小道具をテーマに絡ませる巧さがあってこそのものだが)。
 それにしても戦場ヶ原が相変わらずサイコで安心(?)した。忍が普通に話し始めたときは、正直ちょっと嬉しかった。なんで化物語の時は一切喋らなかったのよ、まだキャラが固まってなかったの? って言いたくなるぐらい。あと千石の方向性がおかしなことに。
 火憐は真っ直ぐすぎるぐらい真っ直ぐだったけど、月火はより一癖も二癖もありそうなキャラで、下巻が楽しみ。出るなら、だけど。

化物語シリーズについて

 さて、僕が西尾維新を初めてまともに読んだのは随分最近のこと(今年の頭ぐらい)で、それこそ『化物語』の上下巻が最初の作品ということになる。よって戯言シリーズから読んだという人はまた違う感想を持つのかも知れないが、僕が西尾維新に抱いた第一印象は、「シチュエーションの限定」によって美少女ゲーム的なノリの会話を小説の中に落とし込むのが巧い作家、という物だった。

 化物語シリーズは、シリアスシーン以外では、主人公とヒロインは基本的に一対一で会話する。特に『偽物語り[上]』では、「最終回か?」と自己言及が入るほどにその要素が顕著だったように思う。面白エピソードを交えつつ妹達を紹介したり現状の説明をしたりした後のガハラさんとの会話、回想に入っての月火との会話、道中での八九寺との会話、千石との部屋での会話、神原との電話、火憐とばったり会っての会話、神原との部屋での会話、神原の家の前での貝木との会話、戦場ヶ原とばったり出会っての会話――から監禁シーンに戻っての会話。そこで一度、「妹二人と羽川との四人の会話」があり、羽川、忍、月火。羽川、火憐、道の途中で八九寺、戦場ヶ原との部屋での会話、月火との会話、火憐と戦闘しながらの会話。そして拍子抜けな解決編はガハラさんと貝木と三人であり、エピローグは妹二人との会話だ。

 例えば細かいシーンにおいても、神原の家で暦がお婆ちゃんと話をするときも神原はいないし(これは神原の家族が神原に遠慮してるため、という部分もあるだろうが)、忍にアドバイスを求めるシーンなどでは当然二人きりになる。

 基本的に三人以上での会話があるときはシリアスシーンか、或いは物語が進んでいるシーンである。会話のテンポよりも、暦の抱く雑感やメインになる。
結果的にか、同級生であるにも関わらず戦場ヶ原と羽川との直接の絡みが殆ど描かれず、それぞれの口から断片的な言及によって、裏でどんなことになっているのかと想像させるような面白い効果を産んでいる。実際、西尾維新の書く極端なギャグの多くは、全体像を「見せない」ことによって成り立っている。

 僕はこれを美少女ゲームでウィンドウの中心にヒロインの立ち絵が来て、主人公と喋っているような雰囲気であるように受け取った。もちろんそういったゲームに複数人で会話するシーンがないわけではない。が、小説で美少女ゲーム的なノリの会話を展開しようと思ったら、複数人と同時に会話をするのは得策ではないだろう。ゲームならば複数人で会話していても、セリフの前に名前を出し立ち絵を動かせば一瞬で誰の発言かわかる。小説であっても、二人での会話なら地の文での説明がなくても、鉤括弧が入る度に発言者が入れ替わっていることを理解できる。化物語シリーズで多用されているのはこれで、面白い動作、特徴的な動作以外は描写を挟まず、ツッコミ、或いは補足的な説明だけを会話の中に差し挟んでいることが多い。それらは多く「漫才的である」と評価されている。しかし三人以上での会話となればそれぞれのセリフが誰の発言なのかを、何かでわかるようにする必要がある。口調などでわかるようにすることもできるが、読者にそこからの読解を求めれば、結局読む側のテンポにブレーキをかけるという意味では同じだ。
 だからギャグ会話を書く場合には、三人以上の会話の描写が極端に少なくなる。これが僕の感じた「シチュエーションの限定」だ。正直、アニメ化でこの辺りがどう表現されるのか、いろんな意味でちょっと楽しみだ。

 とか考えてたらニコニコ動画でゲーム版CLANNADの風子の絵を使って八九寺との会話シーンをゲーム風に置き換えてる動画を見かけてみんな同じ事考えてるんだなーと思ってしまった。化物語を読んで八九寺が風子、神原がいかれた智代だと思ったのは良き思い出。

 脱線的な漫才を多用してる中で、その漫才の内容が後で「ここに繋がるのかー」って感じにしてるのはちょっと卑怯な感じもするけどやはり巧い。単体で見たときもちゃんとギャグになってるし。

感想:君のための物語

君のための物語 (電撃文庫 み 13-1)
水鏡 希人
メディアワークス
売り上げランキング: 52455
おすすめ度の平均: 4.5
2 いまいち
5 ゙奇妙にして親愛なる゙青年との物語
5 今、流行りのチョット「ツンデレ」タイプ・・・?
5 すごいです
5 渋い

 暖炉の炎の照り返しを受けて深い陰影を落とした彼の表情はやけに人形めいていた。
「じゃ、君が避ければ昔話を始めようか」
 いいよ、と私は短く応じた。

 ネタバレ多め注意!


ストレートで、シンプルな構成のライトノベル

 最近ライトノベルの世界では、萌えや特殊な設定、極端なギャグを排した作品が、逆説的に「意欲作」と言われたりする。『君のための物語』はそういう意味での「意欲作」ではあるのだろうが、お話自体は特殊な物語ではなく、おそらく読み始めてすぐの第一印象よりも、もっとずっとストレートにライトノベルだ。
 例えばもし、この物語の中心人物であるレーイが男性でなく女性キャラだったとしたら。なんのことはない、このお話はいくつかの人々との出会いや事件を通して、主人公がヒロインの性格の礎になっている特殊な背景事情を知り、受け入れることによって、少し仲良くなるというお話である。

感想

 面白かった。全体的に、完成度が高い。主人公とレーイ(あるいは「彼」)、ちょっと捻くれた性格の二人の関係が、非常に心地いい。互いにツンデレかこいつら。序盤、少し洒落た感じの表現が多くなってるので多少読みにくくなるかな、とも思ったが、殆どはわかりやすい簡潔な表現で書かれている。構成は正直、新人にあるまじき老獪さだと思う。怖いぐらい。

というわけで構成に触れる

 第一章では主人公(作中に名前が出てこない)とその思い人であるセリアがお話の中心にいるが、第二章、第三章はレーイが過去に関わってきた人物達が中心のお話で、主人公はなし崩し的にレーイの助手的な役割を果たすことになる。
 そして第四章から終章までは、レーイと主人公が完全に物語の中心になっている。第五章はその他にもトゥリスという登場人物が現れ出ずっぱりになるが、彼女に関しては復讐者だと言うこと以外については多く語られていない。彼女はレーイが多くの他者に迫害されてきた過去の象徴であり、狂言回しの一人でしかないだろう。そして彼女の襲撃に関して言えば、「雨降って地固まる」の雨でしかない。個人的には絵柄が好きだったので、もうちょっといろいろ絡みがあって欲しかったけど、語りすぎれば蛇足になるし、簡単に仲直りなんてされてしまうとこれまでのレーイの人生はなんだったのか、という話になり流石にしらけてしまうだろう。二章や三章とは形式を変え、完全な決着にせず多くを語らなかったのは、英断だと思う。
 主人公の背景的な物にも触れると、小説家になる夢を諦めかけていた主人公が再び小説を書きはじめるに至る理由もベタといえばベタだが、彼が実力を新聞社からも認められ、最終的には第一章と後半で『君のための物語』がダブルミーニングになっている部分は技巧的だ。主人公がレーイを友と認めた瞬間から、不躾で尊大な態度のレーイが、言葉の端々で主人公に『親愛』の情を示すようになる様は、わかっていてもにやにやさせられてしまう。

創作論としての、パターンを持った短篇

 この『君のための物語』が金賞を取った時の『第14回電撃小説大賞』の大賞受賞作、『ほうかご百物語』がそうであったように、パターンを持った短篇の集まりというのは、読む側に安心感を与える。では長編にそういう魅力はないのか、と言えばそうでもなくて、実際この『君のための物語』の、第二章、三章は、「主人公とレーイが、過去にレーイと関わりのある人物に会い、なんらかの事態を巻き起こす」というパターンを持った構造になっている。第三章なんかは『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造が、客の願望を叶えてから長い時間を経て「ドーン!!!」をしに来る話のようにも見え、実際この流れだったらいくらでも話を作ることができるだろう。
 起承転結的な構造を持った長編でこの手のエピソードが出てくるのは、だいたいは「承」の部分ということになるだろう。この反復的パターンが「転」の部分で壊れるので、読者は「転」の部分に強い印象を持つことになる。
『君のための物語』の「転」にあたる部分は、今まで何も説明してこなかったレーイが主人公に正体を明かし、主人公に過去の未完成の原稿を完成させてくれ、と頼むことからはじまる。もしパターンが反復された短篇としての「承」がなければ、トゥリスが現れるまでの「転」の展開は随分と地味な印象になっていたに違いない。「転」の時に壊すべきモノがなければそれは読者の目に印象的には映らない。それを「承」の中で作る簡単な方法の一つが、反復するパターンの短篇を作る、ということになるだろう。

 というわけで、もし趣味で小説を書いている人が自分の作品を「どうしてもお話全体が浮き足だった印象になる」或いは「盛り上がりに欠ける」と思っているならば、この「承」の部分で反復的な短篇を作るよう意識してみるといいかもしれない。おそらく、真っ直ぐ直線的に書いたつもりの話よりも芯の通った物になるし、常に波乱含みにするつもりで書いた物よりも、盛り上がりのある作品になるだろう。

感想:亀和田 武『人ったらし』

人ったらし (文春新書 597)
亀和田 武
文藝春秋
売り上げランキング: 211754
おすすめ度の平均: 3.5
3 「人ったらし」になるコツを伝授といわれても…
3 これを読んでもまねはできない・・・
3 物真似されるような人は総じて「人ったらし」であることが多い
4 憧れるけれども・・・
5 作家、谷中 って どなたのことでしょう。


 前書きにも書いてあるとおり、この本を読んだ人がすぐに「人ったらし」になれるかといえば、そうではない。なれないし、恐らくは、なりたいとも思わないだろう。「人ったらし」は見て(誑されて)楽しむ物だと思うようになるはずだ。それ故、人を騙す方法や人に好かれる方法を知りたくて読んだ人には、がっかりな内容かも知れない。そもそもこの本はハウトゥー本ではなく、筆者である亀和田武が編集者や作家として会った多くの有名人の中から、不思議と皆に好かれていたり不思議と魅力的だったりした人物を列挙し、その魅力について考察した物に過ぎない。
 この本の中には、人に好かれる方法を指南するような、実用的(を自称する)心理学ハウトゥー本を揶揄する表現がでてくる。とくにそういった本の代表格とも言える「人たらし」本を名指しし、「人たらし」は「人ったらし」に比べて言葉としても格好悪いという旨を、本の最初と最後で二度にわたり述べている。以下、「おわりに」という章より引用。

 くどいけど、「人たらし」じゃ駄目なんだ。「人たらし」。なんだか伸び伸びした感じに乏しく、かっこ悪くないか。もし同じ人間のことをとりあげても、「人たらし」と書いたら、スケールも魅力も半減してしまう。
 その点、「人ったらし」という言葉には、と自慢したくなってくる。下世話さゆえのフットワークの切れがある。肩で風を切ってストリートをうろつく男や女たちの、リアルな世間知が浮かび上がってくる。

 この文章を読んで、「正直ちょっとオッサン臭いセンス」だな、と思った人の感性はたぶん正しい。僕もそう思った。そして事実この本に実名で出てくる「人ったらし」な方々の多くはオッサンであるか、もしくは既に鬼籍に入っている。この本『人ったらし』は、男の古びた浪漫的なおおらかさが苦手だという人には面白く読めないかもしれない。もっとも、筆者の名前を見て本を買った人や、帯に書いてあった「珠玉のストリート人間学」なんて言葉を読んで納得して本を買った人には、関係のない話かもしれないが。

 実際のところ僕はハウトゥー本が好きだったりして、特にその中でもどう考えても実用的でないようなくだらない物が好きだったりする。大抵、読むのが好きなだけで実行する気はない。自分を変えるために本を読んでいるのではなく、普段意識してない自分のある側面に気づくために読んでいるような気がする。だから『人ったらし』が実用的な本ではないと前書きに書かれているのを読んだときも、そして序盤を読んで実際に実用的な本ではないと確認できたときも、やはりいつも僕がハウトゥー本を読んでしているような楽しみ方をすればいいのかな、と思っていた。
 ところが、実際に実行できそうないくつかの部分を除いたこの本の大部分は、恐らく多くの人間にとって、「自分はどうだろう?」ということすら考えさせないような内容で占められている。芸能人・有名人以外がこれをやって、果たして本当に「たらされるか」と言えばそんなことはないだろう、という物も多く、また芸能人だからって許されるのか、という反感を覚えるような内容も少なくない。勿論筆者もそれはわかって書いているのだろう。
 それでも最終的には「仕方ないなあ」という気にさせられ、同時に、確かにそれらのエピソードからある種の勇気を与えられてしまっているのだ。不思議だ。その不思議さこそが、「人ったらし」ということなのだろう。前述したように僕には「人ったらし」になりたいなんて思えないし、なろうと思ってもなれないだろうが、それでいいと感じる。騙されて痛い目を見ないような位置から時々眺めて、力をもらうぐらいが丁度いいのではないか、と思う。
 ただ、この本に書かれている人たちのことを「仕方ないなあ」と思えるのは、この本に書かれた人々が人ったらしであるのと同じように、亀和田武の文章が人ったらしの文章であることが本当の理由かも知れない、とも思う。

感想:『かんなぎ』 第4話「シスターーズ」

バカうんこー!
かんなぎおもろいなー。

ドレッシングご飯……どんな味覚してるんだよこの神さま。ソースご飯、主人公お前もか。
アイドルになりたいと思うナギ。
語る秋葉。この声聞いてるとどうしてもラインバレル主人公が思い浮かぶ。
いろいろ語ってるけど大事なのは最後のざんげちゃんの話。
近道すると偶然ならず者たちに絡まれてるざんげちゃん。だってどう考えても客引きだもの。
ざんげちゃんに皆の懺悔を聞いてる理由を聞く主人公。
自分探しとか、アイドルになりたいとか。

そしてうまい棒おいしん棒飯。ひでえ。
ざんげちゃんの出演しているテレビにかじりつくナギ。
ざんげちゃんはナギの妹らしい。完全に先を越された。ざんげちゃん腹黒ーい。

何を企んでいるのかと恐ろしがるナギ。
すっかり騙されてる主人公。色香に惑わされたと指摘される……心当たりが、身に覚えががありすぎ。
「な、なんとピンク色の回想シーンじゃ。エロ恐ろしい」
そして姉妹のエロ恐ろしい直接対決。
最後は主人公の目撃オチ。見たくなかった。

そして夕食。ずっと気になってたついに食生活にツッコミを入れてくれる貴重な人材が現れた。そしてざんげちゃん押しかけ。

最後いたる絵だー。こういうとこで見ると不思議。

とある魔術の禁書目録』 第4話「完全記憶能力」

超常現象以外にはとことん無力だなー当麻。
だいたいの事情と既存登場キャラの立ち位置はほぼ説明されたかな。
殆ど当麻と神裂さんのバトルと会話でした。あとはインデックスの看病。
次回で一巻分終了かな。

感想:峰守ひろかず『ほうかご百物語』

ほうかご百物語 (電撃文庫 み 12-1)
峰守 ひろかず
メディアワークス
売り上げランキング: 14320
おすすめ度の平均: 2.5
2 ちょっと、これはない。
3 1回は読める、2回目は・・・
2 ライトイラストノベル
1 ふざけてる
4 主人公は表現者の卵

「僕の――」
 穂村や先輩に聞かれたら、またかよ、と笑われるだろう。我ながらヘンな性分だとも知っている。だけど僕は、
「モデルになってください!」
 そう叫ばずにはいられなかった。

 ワンパターンである、ということは、方法論が確立している、ということである。
 ドラえもんの多くのエピソードの導入が似たようなものであるのと同様に、方法論が確立している作品は、良い言葉で言えば安心感があり、悪い言葉で言えば印象としての単調さを持つ。また、ワンパターンには、お話を量産しやすくなるという利点とともに、読者にどんな風に楽しめばいいかということを予めわかっておいてもらえるという利点もある。
 ワンパターンな作品には二種類ある。意識しての「計画的なワンパターン」と、複数作った作品が無意識のうちに同じ流れをなぞってしまっている「結果的ワンパターン」だ。プロットを立てずに作品作りを行うと、後者のようになりやすい。プロの作品でワンパターンと感じる場合には、多くが前者、意識してのワンパターンだ。
 そしてワンパターンを貫くことは一つの勇気だ。


 さて、今回僕が読んだ『ほうかご百物語』は第14回電撃小説大賞の、大賞受賞作品である。
 ざっとあらすじを説明すると、やたらと妖怪が出現するようになった学校内で、ゴーストバスターズならぬ妖怪バスターズを始めた美術部の、学園ラヴコメディ、ということになるだろう。

 物語の中心にいるのは、美術部の三人。
 数合わせで美術部に在籍している妖怪マニアの先輩、経島御崎。スケッチしたい対象が見つかるとすぐにモデルになってくれと口説いてしまう美術部員で、さらに妖怪誘因体質である主人公、白塚真一。そして妖怪そのものであり真一の理想のモデルであるピュアなイタチっ子、伊達クズリ(仮名)。短篇の物語をいくつか展開していくのに、過不足のないキャラ配置だと思う。その他にも二人ほど美術部員はいるが、バイト漬けの幽霊部員と、いつも山ごもりでスケッチをしている子なので、ほとんど登場しない。
 僕は『ほうかご百物語』のなかでは、この美術部の空気感がピカイチに好きだ。真面目に活動している子と、実際の部活動に興味はなくインターネットを弄ったりしているような子がいて、そして可愛い女の子がいて、それぞれ仲も良くてよく話をしている。こういうのを見ると「学生生活だなあ」という感じがする。学生時分はまともにやってなかった癖に、基本的に部活動モノに弱いのだ。

 少し詳細にあらすじを見ていくと、事の発端は、夜、真一が忘れ物を取りに来た学校内で、謎の美少女に血を吸われそうになったことになる。良い意味でベタだ。真一は経島先輩から聞いた話のおかげで彼女が妖怪の「イタチ」であることに気がつき、その正体を指摘することで撃退。その後、彼女に「モデルになってくれ」とお願いしたところ、翌日イタチは約束を守り美術部にやってくる。経島先輩の提案で、イタチは学校に通い続けることに。しかしイタチはモデルとしての役割を終えたら帰らなければならない。ではどうやって学校に通い続ければいいか、それは簡単、モデルになるという約束をいつまでも果たさなければ良い。前述したような特殊な人材の揃った美術部。時を同じくして学校内に出没し始めた、実害があったりなかったりの妖怪達。経島先輩のノリでその退治に乗り出したりする内に、怪奇現象は美術部が解決してくれるという流れになって――。
 そんな感じのノリではじまり、計六話の短篇形式で、物語は綴られていく。ちなみに一話ごとに妖怪が一つ(?)ずつ紹介されるような形。ちなみにオマケのような補話にも妖怪が出てくるので、第一巻に出てくる妖怪の数は計七。『ほうかご百物語』というタイトルを比喩的な意味でなくそのままに受け取るならば、最後までに14〜15巻ほど使うことになるだろう。

 いろんな妖怪が出てきてしっかり考証もされてる感じだが、物語に必要な設定だけが取り上げられていて、あまりマニアックには語られない。また、よくある「妖怪と人間の間の軋轢」みたいなモノがテーマにあるわけではない。人間の認識次第でどうにかなったり、ルールを持っているとはいえ理屈がとおっていればいくらでも穴を突けるルールだったりで、どうにも曖昧な存在という感が否めない。この辺りはまあ、論理的バトルに持って行くためのご都合主義的な設定と言えるだろう。

 一読し終えての第一印象は、安定してヒットが狙えそうな作品という物。この一冊を読んだだけで、峰守ひろかずが作品をシリーズ化していく能力を持っていることがわかる。が、ちょっと読み返して見ると、この作品は少々売れ線からは逆行しているようにも感じた。
 極端な萌え要素を持ったキャラが出てくるわけではない。多数のヒロインが主人公を慕うようなハーレム展開でもない。恋愛物における狭義的な意味でヒロインと呼べるのは一人、イタチさんだけだ。主人公真一も、ヒロインであるイタチにベタ惚れ。経島先輩に至っては(ネタバレ自重)。メタネタなどの斬新なギャグがあるわけではない。メインヒロインが「イタチ」だと言うのは斬新だが、モノノケの類であるという意味では珍しくはない。ギャグのセンスそのものはなかなかのものだと思ったが、多くは経島先輩のキャラクター性に支えられた物だった。そして最近流行のエッチなネタが入ってるわけでもなかった。『ほうかご百物語』の帯には、キノの旅の作者、時雨沢恵一の「女子でも楽しめる」という言葉が入っていて、それはつまりこういう要素を指して言っているのだろう。

 だが、ライトノベルを読み慣れた人が、この本を電撃小説大賞の大賞作品だと意識して読むと、どういう印象になるだろうか。恐らく多くの読者にとって「盛り上がりに欠ける話」「小粒な印象の作品」となったのではないだろうか。
 中盤からの各エピソードの導入「妖怪を見つけての、あるいは依頼を受けての、妖怪退治」というワンパターンさが、それに拍車をかけている。また『ほうかご百物語』というタイトルの前半、『放課後』にも着目しよう。この小説には、『学校の放課後』以外の場面、例えば普通の授業中だったり、学校外だったり、主人公の自宅だったりといったシーンがほとんど出てこない。舞台や時間帯、人間関係も選択され、限定されているというわけだ。その事実はやはり、作品の小粒さを印象づけるのに一躍買っているだろう。
 しかし勿論、作者が「学校以外のシーン」や、あるいは例えば「主人公と父の会話」を「面倒だから」という理由で出さなかったのかと言えば、そうではないだろう。
 小さく閉じた世界の中、主人公がいつも放課後に学校で会う人間達だけの世界――僕が「学生生活だなあ」とノスタルジーを感じた美術部の空気を中心にした、登場人物の全員が知り合い同士であるかのような世界観。その表現が前提にあるに違いない。そして僕らは物語に接するとき、切り取った断片だけのリアルでない世界に逆にリアリティを感じるらしい。これはその少々極端な例だろう。あまりどっぷり浸かるとカラダに悪そうなぬるま湯的なモノだけど、嫌いじゃない。ただ、おそらくこればっかりは長く続かないと思うので、続巻では殻を破っていくことになるのだろう。

 しかしこの閉じた世界の構図。作者が意図していたわけではないだろうが、僕個人はこの場所と人間が限られている場でのコメディに、吉本新喜劇――というと少し語弊があるが、お笑いコント的な要素も感じた、ということも一応記しておく。
 もうちょっと活かしてもらいたかった設定は、主人公の美術にかける情熱。本編中で主人公の美しいモデルを見て絵を描きたいという欲望が変態的であるという言及こそされているものの、実際に発動したのは数シーン。主人公はすぐイタチさん一筋になっちゃったし、彼女を描いたら『ほうかご百物語』(完)になってしまうので発揮できる場所そのものが少なかったのはわかるのだけど、ネタとしては非常に美味しいところだと思うので(というかそこを抜いちゃうと主人公が物凄く透明な存在になっちゃうので)。
 文章自体はシンプルであまり気取ったところはない。難点としては、さくさく読める感じに見えて、複数人での会話が続くと誰の台詞なのかわからなくなる(勿論、注意して読めば、誰の台詞なのか全くわからないというわけではないが)ところが多々あった。いちいち台詞の前にキャラの名前を出して野暮ったくならないようにという意図でそういう風に作られる作品も多くある。この作者もそういう物が好きなのだと思うし、僕も嫌いじゃない。ただ、作風を考えるとその辺ばっさり割り切った方が良いんじゃないか、とも思う。特にかけあいの会話は、じっくり読み込むよりテンポ良く読みたいところだ。
 バトルに関してはあまり書くこともない。ロジカルな解決法はちょっとした頭の体操的な物だし、そうでない戦闘に関してはイタチさんがさくっと解決してしまう。そもそもにしてこの物語の中心じゃなくオマケ的な物だと考えるべきだろう。じゃあどの部分を見せたかったのか、と聞かれると少し困ってしまうところではあるけど。
 イタチさんは可愛かった。自分から萌えを振りまく(?)タイプではなく、いじらしさを感じさせるタイプ。主人公が可愛い可愛い言わせすぎなのはちょっと逆効果なのではないかと思う。でもまあ、うん、可愛い。ただひょっとすると出番は経島先輩の方が多かったりするのかな。絵柄、性格的に好みだった副会長の立ち位置が今ひとつ見えてこない。続巻読んだときは彼女がもっと前面に出てくるといいなあ。

感想:『鉄のラインバレル』 第4話「正義の代償」

理沙子が矢島を好きってんならまだ非モテ的に同情のしようもあるけど、この主人公はほんとにもう!
とか思ってたけど、キツい展開だったな。
ラインバレルのファクターとして適任かどうか監視されまくってる主人公。絡まれた側とはいえ一般人をボコボコにして評価は良くない。
そして何度目かの矢島のお節介焼き。しかし今回はどうもこれまでのそれとは様子が違う。
「証明してくれよ。俺はもう、お前に必要ないってさ」
殴り合って、本心を語り合う矢島と主人公。
自分が矢島に助けられてコンプレックスを持っていたように、理沙子絡みで主人公にコンプレックスを抱いていた矢島。
理沙子のことを諦めさせてくれ、の意味もあったのだろうけど、これは本質的に主人公のコンプレックスのケア。
完璧に仕事を終えて矢島絶命。君が死ぬことは人伝手に聞いてました。だから「三人でお弁当」の約束も死亡フラグだとわかってしまいました。コンプレックス解消の瞬間にトラウマを作る主人公。感情の上げ下げは基本に忠実。
そしてついに怒りで認証なしにラインバレルを呼んじゃう主人公。
「俺は…あいつを殺したい!」
覚醒。暴走。回想。
とそんな感じで……来週からの主人公が楽しみ。